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シリエズオンライン情報・更新先のお知らせ [関連情報]

2007年01月01日

シリエズオンラインの情報更新は今後は下記各サイトで行います。これからも、よろしくお願いいたします。

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相手の感情や状況によって表現を使い分けることで相手の受け取り方が変わる [関連情報]

2006年08月11日

相手の感情や状況によって表現を使い分けることで相手の受け取り方が変わる本当に言葉は難しい。同じ言葉でも言われた相手のその時の感情や状況によって全く違って解釈してしまうこともある。先日もこんなことがあった。ある作業を一人でしていると、同僚が「手伝いましょうか?」と声をかけてきた。

一人でもできる作業だと思っていたので、「別にいいよ。一人でできるから」と断った。しばらくすると別の同僚が「何かお手伝いしたいんですけど…」と声をかけてきた。最初は同様に断ったものの、結局は簡単な作業をお願いした。

なぜなら、「手伝いましょうか?」はその時の受け取った感情として、「(本当は手伝う気持ちはないけど)とりあえず言ってみた」ように聞こえてしまい、「いいよ、別に無理して手伝わなくても」と意固地な気持ちが働いてしまったのだ。

しかし、「手伝いたい」という言葉は、ムゲに断ると相手の厚意を踏みにじるように感じられたので、一旦は断ったものの、ちょっとだけ手伝ってもらった。この場合、普通の状況であれば「手伝いましょうか?」でも十分厚意のある言葉なのだが、ちょっとした感情のもつれや状況によって全然違う取り方をしてしまうことがあるのだ。

先日、ある会計事務所を取材したとき、そこの幹部職員からこんな話を聞いた。その幹部職員はお客様だけでなく、部下や同僚に対しても非常に気配りが利くというのがその事務所の所長の評価だったが、その職員はその秘訣をこう話した。

「私たちの仕事はお客様の悩みを伺い、解決する手段を考え、提案することです。それはお客様だけでなく、部下や同僚に対しても同じことだと思います。そのためには、相手のことをよく考える必要があると思います。相手がどんな状況(精神状況)にあるかを無視しては、同じ言葉をかけても、違った印象を与えてしまうこともあるのです」

もちろん、初対面の人の感情や気分まで読み取ることは不可能だ。お客様や同僚などは日頃からの接し方で相手の感情をある程度把握することはできるかもしれない。同じ言葉でも相手の状況によって受け止められ方が違う場合がある。また、同じ意味の言葉でもちょっとした表現の違いで心がほぐれる場合もある。

コミュニケーションは今後ますます重要視されていくだろう。「言葉」はコミュニケーションの基本であるのはいうまでもない。しかし、同じ言葉でも相手の状況によって何気ない言葉でも不快に感じてしまうこともある。しかし、ちょっと表現を変えるだけで、素直に受け止めるさせることも可能なのだ。

もし、自分としては何気なく口にした言葉で相手が不機嫌な顔をしたら、ちょっと表現を変えてみることで相手の気持ちが氷解することもあるのかもしれない。

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夏だからこそ「癒し」が生み出すビジネスがある [関連情報]

2006年08月01日

060801.jpg8月といえば子供たちにとっては「夏休み」の季節。社会人にも「お盆休み」が待ち遠しい時期となる。以前までならお盆=帰省だったが、今ではバカンスへでかける人も少なくなくなった。

バカンスにでかける理由は何と言ってもリフレッシュするため。日頃、ビジネスでためこんだストレスを解き放つのが目的だ。もちろん、長期休暇を取って、思いっきりリフレッシュできるのであればそれに越したことは無いが、リフレッシュ効果を得るだけなら、何もバカンスにいかなくても可能である。
それが今はやりの「癒し」である。「癒し」ビジネスといわれるくらい、エステやマッサージなどから、森林浴効果を高める芳香剤や枕、そして「癒し」の最たるものがペットだといわれている。

その「癒し」効果のあるものとして、最近面白いものを見つけた。それが、「動くハゼの図鑑」というWEBサイトだ。何でもダイバー達の一番人気が意外にもハゼだそうで、そのダイバー達が撮影(投稿)したハゼの動画を無料で見れるというものなのだ。

ダボハゼしか知らない人間からみれば、「何でハゼ?」と思いそうだが、実はハゼは世界に2000種類以上もいるそうで、南の海のハゼは実に色鮮やかなハゼもおり、またそのユーモラスな生活習慣にトリコになってしまうダイバーがほとんどだというのである。つまりダイバー達にとって何よりの「癒し」がハゼなのだという。

実際、このWEBサイトをみると何とも可愛いハゼの泳ぐ姿をみると、ダイビングをしたことない人間でも癒される。(ぜひ、一度見て欲しい。超お薦め)そして、このサイトを見ていてあることに気付いた。

ビジネスにはハイリスク・ハイリターンとローリスク・ローリターンがある。ハゼというのは、ダイバーにとってはローリスク、安定リターンなのだろう。マンタと呼ばれる大きなエイなどはなかなかお目にかかることはできない。その代わり見ることができたときの喜びは非常に大きい。まさにハイリスク・ハイリターンなのだ。

一方、種類さえ選ばなければハゼは比較的見ることは可能だ。それでいて、確実に癒される効果がある安定リターンなのだ。だからこそ、ダイバー達の人気にもなり、こうしたサイトが誕生するのだろう。

もう一つは、このサイトの売りは動画が200以上も見ることができるということである。まさにちりも積もれば・・という典型的な例だ。数はビジネスの上で圧倒的な優位を示すことが可能になる。

これを会計事務所のビジネスに考えればどうなるか。企業再生や企業再編などはもしかしたらハイリスク・ハイリターンともいえる。そうした新しい大きなビジネスを追うのだけではなく、一番身近などこでもある業務を積み重ねることでも新しいビジネスを生み出すことは可能になるのかもしれないということである。

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サービスが変化するのは法が変わるからか人の動きが変わるからなのか [関連情報]

2006年07月20日

サービスが変化するのは法が変わるからか人の動きが変わるからなのか<br />
この6月に施行された駐車違反に対する取締の強化、民間人による駐車違反の摘発により、違法駐車は非常に少なくなった。特にメインの通りでは、駐車する車が極端に減少したように思える。もっとも、これもどの地域がどの程度「摘発」されるのかを注視している状況で、しばらくすれば、また増加していくのかも知れないが・・。

そして、この新・道交法によって登場した新サービスともいえるものが、バイクのコインパーキングである。弊社がある東京・恵比寿でもバイクのコインパーキングが登場した。当初は、「面白いけど、こんなの利用する人がいるのかな」などと思っていたが、2~3日すると連日ほとんど満車状態だ。

普通の車なら10台前後が精一杯のスペースでもバイクなら50台近くが止められる。近くにあるバイク専用パーキングはコインパーキングとして30台分程度、月極で20台ほど駐車できるようにしていて、いつみてもどちらも満車状態だ。

もちろん、恵比寿の駒沢通り沿いという立地条件も良いのだろうが、正直「予想以上」に入庫していると感じるのが率直な感想だ。まさにこれは道交法改正により必要に迫られた新サービスといえるだろう。

しかし、果たして法改正だけが、この新サービスを成功させているとは思えない。むしろ、変わったことは法律ではなく、人の動き方なのではないだろうか。

お洒落な大型スクーターが流行し、これまではともすれば、駐車に関しては自転車と同レベルで扱われていたバイクが、それでは済まなくなってきていた。そのタイミングでたまたま道交法改正があり、要求が必要性に変わったことで新サービス化がしやすかった。

つまり、このサービスに関しては法律の改正は「キッカケ」にすぎず、いずれは登場していたサービスなのだろう。そう考えると法改正ではなく、人の動きが変わったために登場したサービスといえるし、それがサービスの特性でもあるのだ。法が変わったから新サービスが誕生するのではなく、人の動きが変わるから新サービスが誕生する。法改正はその人の動きの変化を助長しているにすぎない。そう考えるべきなのだろう。

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取材を受けるのは税理士ばかりではない [関連情報]

2006年07月13日

取材を受けるのは税理士ばかりではないこの1~2年、取材を通じて大きく変わったことがある。それは、取材をしている記者を逆取材する会計事務所が急増していることだ。以前は、そうしたことは、ほとんどなかったが、この2年ほど前から時々目にするようになり、この1年ほどでは、何回かに1回くらいの割合で逆取材をされる。

逆取材といってもほとんどはインタビューしているときに写真を撮られる程度だが、正直、人を撮るのはなれていても撮られるのはあまり好きでないだけに、最初はこちらが戸惑うことも少なくなかった。

この逆取材を生んでいる要因は会計事務所で発行する事務所通信の内容が以前のような税務情報だけから、事務所内部で起きている身近なニュース(情報)に変わっていることがあげられる。

そこへ、最近ではブログを行なう税理士(会計事務所)が急増し、記者の取材もそうした事務所においては貴重なネタというわけのようだ。先日もある事務所を取材したあと、その事務所のWEBサイトをみるとブログで「取材を受けました」というタイトルで写真入りで紹介されていた。

そして最近は、取材時に「よその事務所はどうですか?」という逆取材を受けることが非常に多くなった。以前にくらべて他の事務所の状況を気にする税理士が多くなっている。それだけ競争が厳しくなっているということなのだろうと思う。

マーケティングにおいて情報は全ての原点。しかも生の情報になればなるほど、有効性を増す。そういう意味では、記者は生の情報の宝庫ともいえるわけであり、本来は取材される側だとしても、「聞いてみたい」話であるのは当然ともいえる。

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スピードの根源は情報と意思決定の権限委譲にある [関連情報]

2006年07月06日

スピードの根源は情報と意思決定の権限委譲にある7月5日早朝の日本、いや世界を震撼させたニュースが飛び込んだ。北朝鮮が数発のミサイルを発射させたというものである。射程距離6000キロともいわれるテポドン2号を含む、少なくとも7発のミサイル(ロシアは10発と発表)が日本海に向けて発射された。

これについて、一部の報道によれば米軍のイージス艦という攻撃型巡洋艦にミサイル迎撃システムがあり、それは訓練では8発中7発的中させていて、その巡洋艦を横須賀基地に配備するので安全だというのである。

その一方で、今回のミサイルの1発目は早朝3:30頃と言われる。そして第一報が小泉首相のところに入ったのが新聞報道によると20分後だという。実際には発射10分後には日本海に着弾しており、着弾10分後に第一報が最高責任者の所に入ったことになる。

問題はココである。日本の場合、自衛隊の最高責任者は総理大臣であり、その承認なしに行動はできない。つまりどんなに優秀な機能があっても、情報伝達が遅ければ何の意味ももたない。(もっともこの話でいえば、巡洋艦はあくまで米軍基地配備なので日本の動向関係なしに迎撃可能であり、それはそれで別の問題があるが、ここでは関係ないので省略する)

つまり、こうした場合の権限委譲がどこまでできているかが、こうした最高のシステムを活かす条件だということなのだ。実は、それはどの社会でも同じなのではないだろうか。

優秀な職員や素晴らしい機械(システム)があったとしても、それを活用する段階で、情報伝達や意思決定が遅くては何の忌みも持たない。

特にいまのようなIT社会では、1分1秒を争うことも多い。そうした中で、意思決定にわずかな時間ロスがあれば、それで勝負は決してしまうことがある。この場合でいえば、ミサイルが着弾してから、最高責任者に情報が伝達されるようでは、完全に負けなのだ。

そして意思決定を絶対に早める効果があるのが、権限委譲である。例えば、今回の例でいえば、巡洋艦の船長に迎撃ミサイル発射の権限委譲(臨戦体制になっていれば当然)がなされていれば、着弾前に打ち落とすことも可能になるのかもしれない。

軍隊の場合は、その判断によって大規模な戦争になることもあることから、簡単に権限委譲ができるわけではないが、企業経営においては、できることならなるべくは「現場」に権限委譲できるようにしておいた方がスムーズであり、競争に勝つチャンスを大きくすると考えられる。

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シュートを打たないのは下手なのではなく責任を取らない日本人の特性 [関連情報]

2006年06月22日

シュートを打たないのは下手なのではなく責任を取らない日本人の特性まったくもって情けなくなる気持ちで第2戦となったクロアチア戦を見た人も多いのではないだろうか。初戦よりはシュート自体は多くなったものの、入る可能性の高かったシュートは極めて少なかった。その中でも決定的なチャンスで見せた柳沢のシュートにはあきれ果てた人も多かっただろう。

日本選手はシュートを打たない。第2戦では多少打っていたが、それでももっとシュートを打てるチャンスはあったように思う。なぜかペナルティーエリアの近くでもシュートコースを探すのではなくパスできる相手を探している。これはこのチームに限ったことではなく、以前からずっと言われてきたことである。

シュートを打たない日本人。実はこれは選手が下手というのではなく、日本人の特性だという人も多い。つまりは「責任を取ることを避ける」行為なのだという。確かにシュートは柳沢の例でもわかるように、外せばA級戦犯になってしまう。攻撃の全責任をシュートを外した人間が背負うことになりやすい。それを日本人は避けるのだという。

このことはサッカーだけに限らない。野球でもチャンスで「次につなぐ」という考えで四球を狙う選手がいる。確かに四球で次につなげばチャンスは拡大する。しかし、その選手がヒットを打ってしまえば、点が入った上でチャンスが拡大するのだ。

ゴール前でシュートを打たないでパスをするのも同じ。「より確実な選手にチャンスをつなぐ」という意識が強いのかも知れない。しかし、現実はパスをする回数が多くなればなるほど逆にミスをする回数(率)も高くなる。真剣勝負の国際試合ならなおさらだ。だかこそ、できるだけ早い段階で勝負=シュートをするべきなのである。もちろん、シュートを打つ選手はそのシュートに責任を持つのは当たり前のことである。

これは一般社会でも一緒ではないだろうか。テレビの前で「何でシュートを打たない?」と嘆く人も自分の仕事では案外責任を回避している行動を取ってはいないだろうか。もし、責任回避するような行動をしているのなら、もしかすると日本選手を責めることはできないかも知れない。

責任を取るとはどういうことだろうか。それは自分の行なった仕事に対して自負を抱くことなのではないだろうか。「やるべきことはやった」。その気持ちが仕事に対しての責任感を生むのではないだろうか。

どんなに努力しても必ずしも報われるわけではない。スポーツでは特にそうだろう。だが、そこまでの過程に自信を持って望んでいれば、結果に対して責任を取ることは難しくはないはずである。日本代表がもし責任を取れない選手の集まりだとしたら、それはこれまでの過程に自信を持っていないことになってしまう。

たかがサッカー。されどサッカー。W杯という大きな舞台を見ているとさまざまな社会状況を垣間見ることができる。日本人の選手が責任を取れる集団なのか、どうか。明日の早朝行なわれるブラジル戦では、そういう視点からも観戦、応援したい。

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サッカー日本代表に足りないのは試合に対するマーケティング力? [関連情報]

2006年06月15日

サッカー日本代表に足りないのは試合に対するマーケティング力?本当に日本中の空気が消沈していたのではないだろうか。同点、逆転ゴールが決められたのは、夜12時直前。それでもほぼ視聴率50%ということを考えるとまさに「日本中」がその瞬間にため息していただろう。

日本がオーストラリアに負けて理由はいくつもあるが、ここではマーケティング的に絞って考えてみたい。最大の敗因は日本とオーストラリアのマーケティング力なのではないだろうか。

サッカー(スポーツ)におけるマーケティングとは簡単にいえば相手チームの分析である。また今回のような大きな大会であれば、大会全体のトレンドみたいなものも考える必要がある。

その点でいうと日本はオーストラリア、厳密にいうとジーコ監督はヒディング監督に完敗したといってもいい。いや、もっと正確にいうとジーコ監督自体にマーケティング的な概念が乏しいのかもしれない。

ヒディング監督は日本の戦い方を良く分析して、中盤の要である中田と中村を徹底マークしてきた。この点は当たり前といえば当たり前だが、とにかく彼らをほとんど自由にさせなかった。とにかく徹底していた。(なぜか、彼らが倒されてもファールをもらえなかったのは不思議でしょうがないが)

一方、日本はオーストラリアの高さを抑えることはできなかった。これも事前から言われていたことであり、十分対応する時間はあったはず。何しろ、今回の組み合わせは1月に決まっているのだ。

ところが日本代表のDF陣には身長の高い選手を登録することをジーコはしなかった。確かに大会直前にレギュラー格の田中がリタイヤし、試合中でも前半に坪井が負傷する不運もあったが、相手チームの特徴や負傷などに備えたバックアップも考えるのが当たり前。それが足りなかったのは事実だ。

もう一つ。大会のトレンドという言い方をすれば、今大会はこれまで以上に遠くからのシュートが目に付く。それは単なる偶然ではなく採用されているボールに原因があるといわれている。日本代表もその点は理解しているはず(直前に中田などはロングシュートの練習を繰り返していた)だが、実際にはほとんどロングシュートを放つことはなかった。これも徹底不足だ。

凡才が天才に勝つ唯一の方法。それは統計に学ぶことだという。つまりは抜けた力がない限り、少しでも勝利に近づくにはマーケティングを効果的に使う必要があるのである。

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「儲けた」のが悪いのではなく「儲け方」が悪かった [関連情報]

2006年06月08日

「儲けた」のが悪いのではなく「儲け方」が悪かった村上ファンドを率いる村上世彰氏がインサイダー疑惑(証券取引法違反)で逮捕された。以前から村上氏に対しては、その取引手法をめぐりさまざまな情報があり、特にライブドア事件の発端となったニッポン放送問題においては、堀江氏の親密な関係から当初からインサイダー疑惑が取りただされていた。

その村上氏が逮捕前日に開いた記者会見をみていて違和感を覚えた人はどのくらいいただろうか。特に彼が「儲けて何が悪い」と言ったことに対しては、「儲けたことが悪いのではなく、儲け方が悪かっただろう」とテレビに対して、ツッコミを入れた人も多かったのではないだろうか。

そして村上氏や堀江氏の逮捕に対して「出る杭は打たれる」と揶揄する人もいるが、それは半分あたっていて半分は見当違いなのではないだろうか。確かに、堀江氏も村上氏も短期間で急成長した。村上ファンドはほんの数年で運用資金は100倍に増加しているともいわれる。

しかし、彼らが「打たれた」のは出すぎたからではない。彼らの出る手法に違和感を覚える人が多かったからだ。急成長しても社会の多くの人から歓迎されている企業だってある。例えば、居酒屋チェーンなどで知られるワタミなどは急成長を続けているが悪口をたたく人は少ない。この違いは何が違うのだろうか。

そこに大きなキーワードがある。それが実業と謙虚さなのである。特に謙虚ということから見れば、堀江氏や村上氏からはそうした感じを受けることは少なかった。それは、彼らが、利益を得るために「お客様」を相手にしていないからなのではないだろうか。堀江氏などは、本来そうあるべきだったのに現実的には彼らは利益の多くをM&Aであげていた。村上氏にいたっては、利益のもとは、関係ない企業が汗水たらして得た利益そのものである。

一方、ワタミの渡邊美樹社長は「利益はお客様の『ありがとう』の総和」が口癖だ。つまり、自分たちの企業を支えているのは、「お客様」ということが身にしみているのだ。だから、自分の行動の先には常にお客様の視線があることを意識している。だからこそ謙虚な姿勢を失わない。そこに大きな差が生じるのではないだろうか。そして、その「常にお客様の視線を意識」することこそが、ビジネスの基本であり、そこを意識 していればたとえ急成長しても「打たれる」ことは少ないのである。(業界内では打たれても必ず援護する人=お客様=が現れる)

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あなたはどこまで出来ることをしていますか? [関連情報]

2006年06月01日

あなたはどこまで出来ることをしていますか?サッカーのW杯の開幕が間近に迫ってきた。多くの人が楽しみにしているのではないだろうか。そのさなかに予約していたチケットの入手が出来ないとして、都内の旅行代理店が募集していた観戦ツアーが突如中止になるという報道があった。

実は、筆者もそのツアーに申し込んでいた一人であり、この6月を心待ちにしていた。それが突如のツアー中止で奈落の底に突き落とされたような衝撃を受けている。ツアーの中止自体も許しがたい、耐え難いことではあるが、実は、違う点で、今回のツアー会社には憤りを覚えている。

それはツアーの中止を同社のHPでいきなり発表したことである。チケットが今日届くか、明日届くかと待ちわびていた私も第一報を知ったのはヤフーのニュースサイトだ。そこに問題がある。

こうした場合、まず直接被害を受ける人(ツアー参加者)に個別に通知を出すべきなのだ。確かに1000人を超える人間に個別に連絡を取るのは大変だ。たとえば、電話などなら、ものすごい時間と労力がかかってしまう。連絡を受けたほうも、黙って「はい、そうですか」とはならないだろうから、それは難しいだろう。

だが、今は時代が違う。メールという便利なツールがあるのだ。実際、私を含めて今回ツアーに申し込みをしている多くの人間はHPなどを通しているはずだ。当然、メールアドレスなどは登録してある。実際、振込み通知などはメールで連絡がきていたこともあった。

ツアーの申し込み別にメールの管理ができていれば(マーケティング的にしてないはずはない)一斉配信で同じ内容のメールを送ることは簡単にできるはず。まずはそうするべきだったと思う。また、一度電話で問い合わせをしたときにも、同社の対応(担当者)にも「違和感」を覚えたこともある。今回の件はおそらく同社も被害者なのだろうが、こうした対応を受けた私は、二度と同社を利用することはないだろう。 この積み重ねが大きな機会損失につながるのだ。

逆に、一週間ほど前に個人使用のパソコンが壊れ(最近、ついてないことが多い)、そのデータを業者に取り出してもらうことを依頼しようとした。そのときの業者の女性スタッフの対応は非常によく感じた。ほとんどがマニュアル通りなのだろうが、こちらの疑問や不安に思う点をすべて電話できちんと答えてくれた。結局、日数と金額(非常に高価)だったこともあり、依頼することはなかったが「次に何かあれば」 そこにお願いしようとは思う。

この違いがビジネスの成果を生むのではないだろうか。実は、先日同じような話を月刊シリエズ7月号にも書いたのだが、考え方、対応の仕方でビジネスの成功度は大きく変わってしまう。今回、個人的には非常に残念な思いをしたが、ビジネスという視点に立つと大きな勉強にもなったように思える。

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あなたにとって「プロ」とは、「一流」とは何ですか? [関連情報]

2006年05月02日

あなたにとって「プロ」とは、「一流」とは何ですか?先日、あるテレビのトーク番組に松山千春が出演していた。その中で話していたことで、松山千春の「一流論」みたいなことを言っていた。そんなに真剣に聞いていなかったので、詳細は覚えていないだが、彼はステージを行なうことに関して、「超一流というのは、常に期待を裏切ることだ」といっていた。

これは彼一流の表現方法だが、期待を裏切るというのは、ガッカリさせるという意味ではなく、期待を裏切るくらい感動させることである。ファンは常に期待を抱いて、ライブに集まる。その期待を満足させるだけでなく、期待を裏切るほど強く感動させてこそ、「超一流」だと彼は言っているのだ。

これと似た話は多くのところで聞かれる。いわゆる「プロ」あるいは「一流」についての考え方である。プロとはどういうものか、一流とはどういうものかということをどう捉えているかということだ。

私は個人的には、プロとは自分の仕事に責任の取れる人。アマチュアは責任を取れない(取らなくていい)人だと考えている。また一流には、二種類あって、一つは常に一定レベルの仕事ができる人。もう一つは、常に一定の仕事ができるわけではないが時々、人を驚かせる(感動させる)ような成果を生み出すことができる人。

このどちらかができるのが一流のプロ。そして超一流とは、その両方を兼ね備えている人間。つまり常に一定の成果を残すことが可能であり、さらに時々は人を驚かせる成果を生み出すことができる人。これが超一流なのだと思っている。

例えば五輪の金メダリストは一流だ。その中でも何回も金メダルを獲得しているような選手が超一流なのだ。また、野球でいえば、新庄は一流であり、松井秀喜やイチローが超一流の選手だという考え方である。

この考え方が正しいとか間違っているとかが問題なのではなく、こうした自分なりのプロ論、あるいは一流論を持っているかどうかが大事なのではないかと考えられる。そして、自分がどのタイプであり、現在どこに位置しているかを明確に理解できているかどうかが、大事なのではないだろうか。

税理士に限らず(税理士は当然として)、仕事をする人は全員プロであるべきだと思っている。なぜなら、その仕事をすることにより報酬を得ているからだ。それは、何の仕事をしていても変わらない。その個々の人間がこうした「プロ論」を持っているか、どうかが今後ますます問われる時代になるのではないだろうか。

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天気予報をみるだけで貴方も一流マーケッターになれる [関連情報]

2006年04月21日

天気予報をみるだけで貴方も一流マーケッターになれる正確なデータがあるわけではないが、マーケティングに関心のある人が天気予報や地震、火山噴火などの気象(地学)に強い関心を持っている率は高いといわれる。一見、何の脈絡もないように思えるが、実は気象学はマーケティングそのものなのである。

気象予想の元となる天気図を作成したことがある人はどのくらいいるだろうか。全国の気象観測点の気圧データを集計し、同じ気圧の点を結ぶ。これがいわゆる等圧線だ。この等圧線を元に、高気圧や低気圧の位置を観測し、数時間ごとに同じ作業をすることで、低気圧や高気圧の動き方を分析し、天気予報を行なう。

このデータを集計し、グラフ化しそして予測を行なう。これはマーケティングそのものである。もちろん、現在では気象学のほとんどは科学的に分析され、気象予報は自然科学の分野であることは間違いないが、もとをたどればマーケティングであるといえるのだ。

例えば、多くの人が耳にしたことがあると思うが、西高東低という冬によく見られる気圧配置がある。東日本で晴れ、日本海側で雪がふることが多いパターンだ。この気圧配置がどうしてそういう天候を生むのかはもちろん科学的に分析されている。

同じように冬に東京などで雪が降る独特な気圧配置もある。上空に寒気が入っているとき、関東の南岸を低気圧が通るとき、東京などで大雪の可能性があるとされる。ところが、この予報ほどあたることは少ない。概して「大雪が降る」といわれたときほど、雪にならないケースが多い。これは、低気圧の位置が100キロ南に偏ったり、北に偏ったりするだけで、雪、雨、あるいは何も降らない3つのケースに分かれてしまうからだ。

ここで求められるのがマーケッターとしてのカンである。マーケティングは論理的な考え方だが、やはりマーケッターのカンも求められる。DMなどでどの言葉にお客様が反応をするかというのは、統計的な分析だけでなく、マーケッターのカンによるところもかなり大きい。

このカンを学ぶ最適なものが気象予報なのである。何しろ題材は毎日ある。それも、非常に様々なケースが存在する。ちょっとした低気圧(台風)や高気圧の動き方で、20~30キロ離れた地点で大きく天候が違う場合も多い。

毎朝、お天気お姉さんの顔だけを楽しみにするのではなく、天気図やアメダスの雲の動きを自分なりに分析、予想していくだけで、マーケッターとしての素養を養うことも可能かもしれない

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ブログ世代を通して今を見ることの大切さ [関連情報]

2006年04月06日

ブログ世代を通して今を見ることの大切さ4月3日は全国各地で入社式が行なわれ、高校や大学をこの春卒業したいわゆる新卒がいよいよ実社会に飛び出すときを迎えた。今年は好景気になりつつあるということから、新卒採用もかなり増加し、ここ数年では最高の高卒・大卒の就職内定率だったという。

もちろん、新卒採用の多くは大手企業であり、会計事務所をはじめ、中小・零細企業で新卒を採用するケースはまだまだ少ない。「即戦力」とはいえない新卒を採用することは、ギリギリの中で経営をする中小企業にとってはギャンブルでもあり、なかなか新卒を採用できないことはやむを得ないともいえる。

しかし、新卒の採用活動をするということは、「人」を採用するというだけでなく、別の大きな意味を持つことがあるのをご存知だろうか。それは、「今」を知ることである。新卒とは、まさに今を生きている人間たちである。1980年代には「新人類」という言葉が流行した。

90年代以降には、「宇宙人」などと新卒社会人を呼ぶようにもなった。これこそが、実は時代の流れそのものである。そしてそれは、お客様を相手にサービスを提供する仕事をする人間たちにとっては、知らなくてはいけない「今」そのものなのだ。

今年の新卒入社の人間たちは「ブログ世代」と呼ばれる。ブログなどで自分の意見・主張を外へ向けて発信する能力=情報発信能力を身に付けている。ブログが多くの人が活用するようになってから、まだ1年足らずだが、すでに今年入社の人間はそれを体験してきている。

そういうスピード感を感じることこそが、「今」のなかで求められるサービス(商品) を考える上で、重要なものであるのは言うまでもない。「今」を知るという意味で新卒を採用することの重要性を理解してもらいたい。もちろん、実際に採用するのは経営上の体力がない企業も多いだろう。それでも、採用面接などはしてみる価値はあるかもしれない。就職活動とはそういう世代の人間と生の情報を交換する貴重な場である。

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サクラが持つバランスが教える人に喜ばれるサービスの姿勢 [関連情報]

2006年03月31日

サクラが持つバランスが教える人に喜ばれるサービスの姿勢もうすでに、花見を終えた人も多いのではないだろうか。冬が寒く、なかなか春めく日も少なかったように思えるが、各地で桜は平年より早く開花をしているようだ。東京などでもすでに満開になっているところも少なくなく、名所と言われるところは、連日花見客でにぎわっている。

なぜ、桜は多くの人に愛されるのだろうか。もちろん、日本人だけでなく、例えば、ワシントンなどでもサクラは多くの人に愛されているという。しかし、日本人にとってのサクラは明らかに他の花とは違う感情で捉えられている。

サクラは5枚の花びらから成り立つ。それならば梅も同様だ。いや、梅のほうが香りではサクラを上回る。もちろん、梅を好む人間も多いが、サクラほどではない。香りでいうなら、キンモクセイやスイセン、ユリのほうがはるかに香る。花としての豪華さなら、ボタンやバラのほうがはるかに豪華絢爛さはある。

一つひとつのことを取り上げれば、サクラより良い点を持つ花は無限にある。しかし、サクラは様々な要素が非常に微妙なバランスが保たれているのではないだろうか。

まず、時期。同じ春を告げる花である梅はちょっと時期が早すぎる。人間が外で花を愛でるには寒さを感じすぎる。上着を脱いで、心を変えようとする時期であり、ましてや、3月末か4月上旬というのは、卒業の時期であり、入学の時期である。また社会人にとっても決算だったり、移動の時期でもある。人生の節目に重なることも多いだろう。

そして形。5つの花びらが正五角形に開き、そして1枚1枚の花びらの先端が少し切れ目が入っている。完全でありながら、遊びのようなものを感じる。そして散り方である。この散り方にこそ、日本人は古来より「潔さ」とか、「はかなさ」「もののあわれ」をサクラに感じていた。

恐らく、このどれか一つでもかけていれば、例えば、時期がもう少し遅かったら、あるいは、全てのサクラが八重桜だったら、またボタンのような散り方をしていたら。 恐らくは、今のようなサクラの愛され方はしていなかったのではないだろうか。そう考えると、サクラの人気の秘密は「微妙なバランス」がキーワード
になるのだろう。

では、このバランスを普通の企業や事務所のサービスの中ではどう捉えればよいだろうか。それは、画一的なものを行なわないということである。

画一的なサービスも決して悪いわけではない。そこには「安心感」があるからだ。しかし、例えば、コンビニやファストフードなどはこうした画一的なサービスが向いている。それは、お客さん自体が動き、どこでも「安心」して同じサービスを受けることを望むからである。

一方、会計事務所のような場合は、そうではない。一つの企業が長い期間、同じサービスを受けるとなれば、それはいつか飽きに変わる。サクラが人々を飽きさせないのは、刻一刻と花の状況が変化するからでもある。それもバランスの一つなのだろう。

バランスの取れたサービスとは、相手の状況に応じて、バランスを取るということなのかもしれない。サクラから学ぶサービスの姿勢とは、画一的なことだけではなく、全体のバランスを重視する姿勢なのかもしれない。

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WBCイチローの発言にみる真のプロフェッショナル論 [関連情報]

2006年03月24日

WBCイチローの発言にみる真のプロフェッショナル論ヤンキースの松井やホワイトソックスの井口などメジャーリーガーが相次いで出場辞退をしたWBC。その中で初めから、出場に対して強い意識を打ち出していたのが、イチローだった。そして最後の最後に物凄いチームの一体性を引き出したのも、イチローの言動だったことが大きくクローズアップされている。

日頃、クールでどちらかといえば個人主義と思われがちだったイチローがこの大会に関しては、非常に強い言動を繰り返してきた。最初に選手が集合した段階では、「王監督に恥じを欠かすわけにはいかない」と言い、一次リーグ前には「相手が30年間立ち向かって来れないような勝ち方をしたい」とまで言った。この言葉で韓国チームがイチローに対して、異常なまでの敵意を剥き出しにし、それが結局は日本が2連敗してしまう遠因にもなっている。

そしてその韓国に2連敗した時には、「野球人生で最大の屈辱」といい、準決勝の前には、「日本が同じチームに3連敗することは許されない」とも言っている。そうした強い発言を繰り返していた今大会の中でも最も彼のプロフェッショナル意識を感じさせたのが、優勝後のシャンパンファイトの中でのインタビューでの言葉だった。

「子供の時のように野球を楽しむことができ、そして、その中でプロとしての責任、使命を果たすことができた」。子供の時のように楽しむ。これは初心を忘れず、仕事にあたるということであり、そしてその中でプロとしての責務と役割を理解し、それを果たす。それこそが、本当のプロフェッショナルなのだとこの言葉を聞きながら、強く意識させられた。

振り返ってみれば、イチローは今回、強い言葉を発しつづけたのも、自らも含めて、チームに強いプレッシャーをかけることで、そのプレッシャーの中で野球(試合)を楽しむこと、そして、プロとしての強い心構えをチームに伝えたかったのではないかと思う。そして、最後にそのことが全員が同じ方向に向かったことで世界一を掴み取ることができたのだと思う。

そのことをもう一人のプロフェッショナルが別の見方で言っているのも興味深い。サッカーのカズこと三浦和良選手だ。「超一流の選手たちが、真剣に1回から9回までやった集中力は芸術。 スポーツを超えた芸術だよ」。プロフェッショナルの一つの定義に相手に感動を与えることだというのがある。カズがいう芸術とはそうした感動を別の表現で言いたかったのだろう。まさにプロがプロを語る言葉である。

自らに強い負荷をかけ、さらにそれを乗り越え、楽しむ強さまで見せてくれたのが、今回のWBCにおけるイチローであり、それを全員が共有したチームだった。それは、まさに芸術とも呼べるほどのプロフェッショナル意識だったのではないだろうか。そのことをプロである人間は、強く学ぶ必要があるように思える。

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トップが責任を取らなければいけないミスと取らなくてよいミスの違いは何か [関連情報]

2006年03月02日

トップが責任を取らなければいけないミスと取らなくてよいミスの違いは何か今回の騒動で永田議員と民主党が大きく誤ったのは、2つである。一つは得た情報が確実なものかどうかの裏付けを何もしなかったこと。そして、ミスだと思ったあとの責任の取り方である。

ミスは誰にもである。しかし、ミスをしたあとにどう対応するかでその人間の評価は決まると言われる。何時、どの時点で永田議員はミスに気づいたのか、まだ不明瞭な点があるが、先日の謝罪会見でもまだ内容について未練を持ったような発言をしていた。つまり、彼自身は明確なミスだと謝罪してはいないのだ。

もっと問題なのは民主党執行部といえる。特に前原代表は永田議員からメールの所在を聞き、質問を許可している。党内にはライブドア問題を専門で担当しているチームがあるのにも関わらず、そこに情報提供することもなく、永田議員に質問をさせた。

つまり、この問題は永田議員個人の「至らなさ」だけではなく、組織として「至らなさ」 があったと思われてもやむを得ない。ならば、責任の取り方も変わってくるのではないだろうかと考えられる。

問題を起こした際に誰かが(特にトップ)が責任を取らざるを得ない。その責任の取り方として、職責を辞する場合と職務をまっとうする形で責任を取ることが考えられる。この2つの場合は、どう違うべきなのだろうか。

その鍵を握るのが、問題の大きさと問題の質である。つまり、影響がどのくらい大きいかということと、問題の根幹が個人(問題発生した)にあるのか、組織にも問題があるのかどうかということなのではないだろうか。

問題自体がさほど大きくない場合は、当然辞める必要はない。また、問題が大きくても明らかに問題を起こした個人だけが悪いのであれば、トップが辞職するまでもないかも知れない。しかし、問題の影響が広範囲に及び、かつ組織にも問題がある場合は、やはり人心一新しなければ、責任を取ったことにはなりえない。

仕事をしているうえで、ミスをしないにこしたことはないが、実際問題としてはありえない。多かれ少なかれミスはする。そのときに誰がどんな対応をし、どんな責任の取り方をするか。そのキーワードになると考えられるのが、問題の大きさと問題の組織への関与度なのではないだろうか。部下や同僚がミスをしたとき、そうした観点から責任を明らかにすれば、クレームも小さく済むかもしれない。

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バレンタインデーという最強のビジネスモデルが諸刃の剣になるという理由とは [関連情報]

2006年02月17日

バレンタインデーという最強のビジネスモデルが諸刃の剣になるという理由とは今や日本中の一大イベントとなった感のある2月14日のバレンタインデー。いうまでも無いが、女性が男性に対してチョコレートを贈るというものである。ご存知の方も多いと思うが、これは、キリスト教の風習に基づくものだが、女性が男性にチョコレートを贈るというのは、あくまでも日本独自のもの。あるチョコレートメーカーの営業マンが昭和30年代に始めたのがキッカケとされている。

しかし、その後、女性が愛の告白とともにチョコレートを贈るというちょっとロマンティックな理由がついたことから、関東を中心にその風習が広がり、同時に「好きでない男性」に対しても「義理チョコ」なる風習が付随したことから、一大イベントとなったのだ。

このことにより、今ではこのバレンタインデーの期間(2月10日~14日)だけで、業界全体でも約20%の売上を占めるまでに至るようになった。ここまでくれば、立派なビジネスモデルが確立しているといえるだろう。いや、業界からすれば1年の売上の20%をたかだか10日前後であげてしまうという宝の山的ビジネスモデルといえるだろう。

しかし、今年になり面白い(気になる)データがでてきた。あるネットを活用したマーケティング調査によると、独身OLの7割がバレンタインデーは「なくなって欲しい」と考えているというのだ。大体、1回のバレンタインデーに使う費用は3000円程度とされることや、一週間以上前から、バレンタインデーに気を使うことなどがそうした理由だと思われる。

また、バレンタインデーの風習が広まり始めたころは、まだ女性が男性に対して積極的にアプローチすることが少なかったのに対し、今では女性から男性にアプローチすることは当たり前のことであり、何もバレンタインデーに頼ることも少なくなっていることも原因だろう。

現状は、まだこうした7割の意見というのは、「影に隠れた意識」でしかないが、いずれは、それが表の意識になる可能性が高い。そうなれば、こうした風習は必然的になくなる可能性が高いともいえる。それはチョコレート業界からみればビジネスモデルの崩壊でもある。

大体、一つのビジネスモデルは30年が限界とも言われている。それを考えても、バレンタインデーが風習と根付いてそろそろ30年が経過する。つまりビジネスモデルとして考えれば、そろそろ限界ともいえるのである。まだ、チョコレート業界では、そうしたことに気づいているとは思えないが、たった10日前後で年間全体の2割の売上をもくろむこのビジネスモデルが崩壊したとき、どういうことになるのだろうか。業界の人間であれば、考えたくも無い事態であろう。

ビジネスモデルを考えるのは大変である。そしてやっと考えたモデルでもいつか限界が訪れる。今はまだ甘いバレンタインデーのチョコレートもいつか苦い味になるかも知れない。一つのビジネスモデルが成功しているうちに、次のモデルを考える必要があるのである。

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トリノ五輪代表から学ぶツメの甘さを解消するヒントとは何か [関連情報]

2006年02月10日

トリノ五輪代表から学ぶツメの甘さを解消するヒントとは何かいよいよトリノ五輪が開幕する。日本選手の活躍はもちろんのこと、毎回様々な人間ドラマが生まれるオリンピックだけに、今回もどんなドラマが繰り広げられるのか、また眠れない夜が続きそうである。

そのトリノ五輪の注目種目とされるのが、何と言っても女子フィギュア。今年に入り、すい星のごとく表われた浅田真央選手が年齢制限で出場できないなど、選考過程からも高い注目を集めていた。浅田選手は出場できないが、代表となった3人はいずれも世界大会での表彰台経験者。メダルの有望種目でもある。

その代表となったミキティこと安藤美姫選手と村主章枝選手。この二人の選手のスケート靴にかける取り組みが新聞やテレビで紹介されていた。実は、この取り組む姿勢こそが、ツメの甘さ解消のヒントになるのである。

安藤選手の持ち味は世界で女子選手としては初めて成功した4回転ジャンプ。そのために物凄い負荷が足にかかることは想像に難くない。それに耐えうる丈夫な靴にするため、何と革を6重にもしているという。頑丈かつ動きやすい靴にするため入念なチェックが求められる。

また、村主選手は左右の足の大きさが微妙に違うため、何度も採寸をし、また彼女の持ち味である繊細な表現を生かすためにかかとの動きがとりやすい靴にしているという。そのため、できあがるまでやはり何度も村主選手は製作者のもとを訪れ調整しているという。

ツメの甘さを解消するヒントとはココにある。十分かつ入念な準備をどこまでできるかということである。もちろん、前述したようにツメの甘さを決定付ける最大の理由はクロージングの弱さ。しかし、準備段階に自信を持つことで、クロージングに対する自信を持つこともできる。「あそこまで自分は準備したのだから、絶対大丈夫」。スポーツ選手が用具や準備にこだわるのは、自分自身にそう言い聞かせるためだという人もいる。

他の競技でも同じだ。スピードスケートの清水選手などもブレード(刃)の調整に半年以上かけるといわれる。メジャーのイチローが打席に入る前毎回同じポーズを繰り返すのは、常に準備を怠りなくするため。それがツメの甘さを少しでも解消する手立てだと彼らは知っているのだ。

そこまで準備したからといってスポーツの世界で勝者は一人だけ。メダル獲得にしたって3人だけ。必ず報われるわけではない。自分が失敗することもあれば、相手が自分を上回ることも多いにある。しかし、名誉の権利を得ることができるのは、そうした準備を怠らなかった選手だけなのである。だからこそ、彼らはそれを大事にする。ツメが甘いことは彼らには許されないからである。

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謙虚なき言動には信頼は生まれない [関連情報]

2006年02月03日

謙虚なき言動には信頼は生まれない昨年末から世間を揺るがしている構造計算書偽造問題、そして今年に入ってからは、ライブドア問題、さらには牛肉輸入、そして東横インの違法改装問題。それらの事件では多くの関係者のさまざまな発言が事件をより大きくしている感がある。

なぜ、そうなるのかといえば、発言している人間に謙虚さが感じられないからだ。構造計算書問題でいえば、最初に登場した姉歯建築士の無機質で他人事しか受け取れない言動。そして次に登場したヒューザーの小島社長の言動。

ライブドアでいえば、ホリエモンこと堀江容疑者の日頃の言動、さらには先日発覚した東横インの社長の言動。一つ一つは内容はもちろん、言葉使いなど違うが共通しているのは「謙虚」な姿勢、考え方、対応が足りない、いや見えないということではないだろうか。

そして、もう一人、「謙虚さ」を全く感じられない人間がいる。それが小泉首相である。先日の国会冒頭での所信表明演説でも小泉首相はこの4年間の成果だけをあげ、それを自分の力でやったかのような言葉で終始した。そこには謙虚さが何も感じられない。

もちろん、政治家である以上自分の成果をPRするのは問題ない。しかし、成果は小泉首相が評価するのではなく、あくまでも国民がすべき。それを「私の力でこうなった」というのは「謙虚さ」が何もないといわれてもしょうがない。

思えば、小泉首相はこれまでに「謝罪」というものをしたことがない。自己の成果は強調するが、問題は全て誰かに「転嫁」することで切り抜けてきたからだ。イラク人質事件では「自己責任」、年金未納では、「人生いろいろ」、そして郵政民営化の否決では「抵抗勢力」に転嫁し、自らの責任をかわしてきた。

これを一般の経営者に置き換えたらどうなるのか。利益が出た場合には経営者自らの成果だと吹聴し、何か問題がおきたら、「自分は関与していない、部下がやったこと」と責任を逃れる。こうした経営者は果たして部下からの信頼を得ることは可能だろうか。

本来、トップがすべきは逆ではないだろうか。成果が出た場合は部下を称え、何か問題がおきた場合の責任は取る。こういう上司(経営者)が部下からの信頼を得ることができる。そうした観点から考えれば、今の政府は経営者としてどうなのだろうかと疑問点が残る。

むしろ最初の問題に変えれば、そうした「謙虚さ」がない、無責任な経営者が増加しているのは、国のトップの姿勢をみているからとはいえないだろうか。それを容認しているマスコミ、国民がそうした経営者を生んでいるとはいえないだろうか。

信頼を得るために何が必要なのか。様々な要素が考えられるが、トップの「謙虚」な気持ちというのも、大きな要素であるのは間違いない。そのことを人の上に立つ立場の人間は肝に銘じる必要がある。最近の事件はそうした教訓にすべきなのである。

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骨付き牛肉が教える「契約」の意味を見つめなおす [関連情報]

2006年01月26日

骨付き牛肉が教える「契約」の意味を見つめなおすまさに「想定内」の出来事ともいえるアメリカ産牛肉の輸入再禁止。安全性の確保ができないということから輸入再開自体が早すぎたという声があちらこちらからあがる。それはその通りだとは思えるが、今回の案件に関して言えば、実はちょっと違うといわざるをえない。

今回問題になっているのは、日本が輸入再開条件としてきた1.生後20ヶ月未満の牛、2.危険部位(脳、脊髄等)は除去する、という2の部分が全く無視された肉が輸入されていたことである。

この問題に対して、「アメリカの検査体制の不備」を問題にする意見が多いが、実は違う。これは単なる契約不履行と考えるべきなのである。日本とアメリカ政府で契約した内容が徹底されないまま、輸入が再開されたことを問題視すべきなのである。

それを「安全性が確保できない」と抗議してしまうから、「この肉は日本以外のどこでも食べる。何の問題もない」と反論されてしまうのだ。単に「契約した内容と違う肉だから、輸入できない」と拒否すればよかったのである。そして契約の徹底を求めればよかった。

今回のことでわかったのは、アメリカ、特にブッシュ大統領も「契約」について理解していないこと。一連の発言の中で契約問題に意識があると思えたのは2~3人だけ。日本では皆無だった。そのことが実は一番大きな問題なのかもしれない。日本には「契約」に関する専門家がいないのではないかという不安である。

契約不履行ということであれば、一つ面白い問題が生じる。今回の問題で一番被害を受けたのは誰だろうか。そう、アメリカ産牛肉でなければ、商品を作れない吉野屋と同社の牛丼をこよなく愛する消費者だ。彼らはアメリカ政府、業者の契約不履行によって多大な損失を被ったのであるから、アメリカ政府ならびに業者に対して、損害賠償請求を行なったらどうなるのだろうか。

もちろん、食の安全というのが一番重視されなければならないこと。確かに木を見て森を見ずでは困るのだが、森ばかり見すぎて目の前にある木が何の木か分からないのも困ってしまう。

「食の安全」という森ばかり気にして、単純な「契約違反」という木を見損なうことで、多くの人間が損をする。それは経営者としても注意しなければならない「視点」でもあるのだ。

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ホリエモンは誰に対して何を売っていたのか? [関連情報]

2006年01月20日

ホリエモンは誰に対して何を売っていたのか?ホリエモンことライブドアの堀江貴史氏が窮地に陥っている。17日、夕刻に東京地検の強制捜査が入り、今後証券取引法違反を切り口に捜査が進むことが予想される。堀江ショックというのか、ライブドアショックともいわれ、翌日の東証は 「売り」注文が相次ぎ、何と取引全体が停止する事態にまでなってしまった。

ここで、堀江氏の話をとやかく言うつもりはないが、もし、現在報道されていることが事実だとすれば、堀江氏は何を勘違いしてしまったのだろうかと思わざるを得ない。それはどういうことか。

彼はいわゆる実業家ではない。自分で何かを作り、それを売るというようなビジネスモデルで成長してきたのではない。企業価値を担保に金を集め、その金で別の企業を買収し、そのことにより株価をあげ、企業の売上や利益ではなく、時価総額という基準を市場に問い、それをビジネスモデルとしていたはずだ。

それはどういうことか。一般の企業であれば、例えば消費者のニーズを失ったとしても、従業員や取引先(金融機関を含め)の信頼を失わなければ、窮地に陥ったとしても、誰かが支援してくれる。だから、経営者は消費者はもちろんのこと、そうした関係者の信頼を失わないことを大事にしているはずだ。

ところが、堀江氏は本来、そうした取引先や従業員などはどうでもよいとしていた。それは、彼らからの「信頼」はたいした問題ではなかったからだ。信頼を失ったら、別の人間と取引すればよかったからである。

しかし、今回、報道が事実だとすれば、彼は一番大事なものの信頼を失うことになる。彼にとって唯一信頼を失っていけなかったのが、投資家だったはずなのだ。それを公表内容の情報操作したばかりか、投資家にとって一番重要な指標である決算書まで虚偽報告していたとすれば、信頼は失墜する。一番失ってはいけない対象の信頼を失うこと。それが彼の致命傷になるような気がする。

「お客様を大事にする」。それは企業にとって当たり前のこと。もちろん、お客様の信頼を失わないようにすることが求められる。しかし、それと信頼を絶対失ってはいけない相手が必ずしも一致するわけではない。今回のライブドア事件をそうした観点から考えてみることも重要なのかもしれない。

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豪雪から学ぶリスク管理マネジメントとは何か [関連情報]

2006年01月12日

豪雪から学ぶリスク管理マネジメントとは何かここ数年、比較的暖冬が続いていた。スキー場などでは「雪不足」がつねに心配されるほどだった。それが今年は一変し、各地で観測史上最高の降雪量となり、道路が閉鎖されたため、営業できないスキー場もあるそうである。

すでに全国で70名以上の方がこの豪雪によって命を落としている。私も2年ほど北海道にいたことがあるので、1mほどの雪に囲まれた生活はしっている。除雪の大変さも承知している。また除雪中に雪の中に転落したり、うずもれてしまうと全く人に身動きできず、人に気づかれず命を亡くすケースも見ている。

特に、今年の雪は例年以上に重いそうで、ある研究機関の話によると、例年の雪は10cm立方で150g程度だそうだが、今年は290gとほぼ2倍の重さがあるという。ましてや日本海側は過疎地域が多く、住民の多くが高齢者となっていることも被害を拡大させる一因と考えられる。

問題は、実はこれからだ。大雪の峠はすぎたといわれるが、今後気温があがり、雨が降ったり雪解けが始まると雪崩や融雪洪水の被害がでると思われるからだ。豪雪によるリスク管理とはまさにそこにある。

雪は気温が8~10度になると解け始めるといい、気温1度に上昇すると1日約20ミリの降雨があったと同じになるという。3度上昇で50ミリ以上の降雨と同じになるという。さらに直接の降雨があれば、2倍、3倍の降雨量と考えなければならない。

今回のモデルとなるのが、いわゆる三八豪雪といわれる昭和38年(1963)の豪雪だが、その際にも全国で6000棟以上の床下浸水があったという。これは今後起こりうる融雪洪水によるものだ。これからはそうした被害への対応を考える必要が求められる。

そこで考えなければならないのが、一時的には民家の倒壊であり、二次的には雪崩と融雪洪水の被害である。各地で自衛隊の要請が行なわれているが、こういう広域になった場合は、政府の方で各自治体に「自衛隊の要請をお願いしたところは積極的に手を上げて欲しい」というべきである。そして、今のうちに少しでも多くの地域での除雪を積極的に展開しなくてはいけないと思われる。

リスクマネジメントとは、今の現状でのリスク回避とともに近未来、そして長期にわたり考えられるリスクを最小限に防ぐ対応を取ること、考えることである。それは経営においても同様である。今日のキャッシュフロー、1ヵ月後のキャッシュフロー、半年後のキャッシュフロー、そうした先、先の危機管理を
この豪雪被害から学ぶことは可能なのである。

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タナボタを受け取るには受け取る資格が必要になる [関連情報]

2006年01月06日

タナボタを受け取るには受け取る資格が必要になる毎年ドラマが生まれる箱根駅伝だが、今年ほど数多くのドラマが生まれた大会もなかった。優勝候補と目された東海大が序盤から失速。結局往路では、今年から最長区間に変更された山登りと称される5区で順天堂大の今井が5人抜きの激走をみせ往路優勝。

二日目の8区にタスキがわたった段階で2位とは3分以上の差。誰もが勝負あったと思った8区残り5キロの時点でトップの順大の難波選手の足元がふらつく。夢遊病者のようにフラフラしながら、伴走車からコーチが何度も降りて水を渡すものの、足はおぼつかない。一時は500メートル以上離されていた駒沢大が一気に追い抜いた。

その難波選手は中継点まであと300メートルの時点で歩きかけたものの、すぐにフラフラしながらも走り始め、倒れこむように9区の走者にタスキを渡した。このシーンをみていて、胸が締め付けられる思いになった人も多いのではないだろうか。

そしてトップにでたのは5連覇を目指す駒沢大。この時点で駒大が優勝すると多くの人は想像しただろう。しかし、その駒大も9区というエース区間でまさかの失速。代わってトップに躍り出たのが亜細亜大だった。

亜細亜大自体は歴史のある大学であり、箱根でも新参というわけではない。しかし、これまではシード争いが多く、優勝争いに顔をのぞかせることは少なかった。今年も亜大を優勝候補にする人は少なかっただろう。

結果としては優勝候補と目されるチームが不調になり、失速し、大ブレーキになるなど、3つも4つもラッキーが重なった優勝である。タイムも例年より遅い。(今年から5区の距離がかわり昨年までより時間がかかることは予想されていたが)

しかし、亜大が優勝できたのは幸運だけではない。決して素質の高い選手がいるわけではないが、地道にトレーニングを重ね、平均的な選手をそろえることで、「穴」のないチーム編成できたことが、優勝につながったのだ。現に区間記録をとったのは9区だけ。往路優勝でも復路優勝でもないチームの総合優勝は10年ぶりだという。まさに総合力の優勝だった。

決してタナボタを期待してはいけない。しかし、努力し、ベストを尽くしていたからタナボタを受け取ることができたのである。何時なにが起きるか分からないのは、スポーツだけではない。「どうせダメ」などと思っていたら、タナボタを受け取ることもできない。タナボタを受け取るには受け取る資格があるのである。

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「極端」ではなく「バランス」が来年のキーワードになる [関連情報]

2005年12月28日

「極端」ではなく「バランス」が来年のキーワードになるホリエモンのフジテレビ買収騒動にはじまり、JR脱線事故、自民党の歴史的圧勝に終わった総選挙。紀宮妃の結婚、耐震偽造問題に年末の大雪。スポーツ界でも30年ぶりとなるロッテの優勝に朝青龍の7連覇、そしてディープインパクトの無敗での3冠達成。史上初とか未曾有とか、何十年ぶりという話題がやたらと多かった印象が強い。

これらの話題をみていると「極端」というか「一極集中」というか非常にバランスがとれてないことを感じる。ホリエモン騒動でもそうだ。株の買占めによるテレビ局買収という初めてのケースだったが、このときに話題になったのも「金さえあれば何をしても良いのか」という議論だった。このテーマはその後、村上ファンドによる「阪神買収」劇へと続いている。

総選挙もまさに「極端」な結果になり、相撲も朝青龍の一極集中となっている。そうした世相に反応したわけではないだろうが、気象までもが、特に西日本では、10月過ぎまで猛暑となり、12月に入ったとたんに猛烈な寒波が訪れ、各地で歴史的な大雪となり、「夏」と「冬」しかないような極端な天候となっている。

ビジネスの中ではオンリーワンや差別化が大事なことになっている。早い話がどこもやっていないことをする。言い換えれば「極端」なことをすることが、差別化でもあり、オンリーワンを目指す手っ取り早い手法ともいえる。

しかし、やはり大事なことは「バランス」なのではないだろうか。先日もあるテレビ番組で、評論家が「今年はバランスが取れてない事件、話題が多かった」と言っていたが、その通りだと思う。今年の反省や傾向から来年を予想するのであれば、来年のキーワードは「バランス」になるのではないかと思われる。

「安全性」と「経済性」のバランス。複数のライバルによる競い合い。一人による支配ではなく、多数による協調。何でも良いからといってオンリーワンや差別化を目指すのではなく、他の業務やサービスとの「バランス」を考える必要がある。それがあって初めて「継続」させることが可能になるからだ。「バランス」というものを見直し、来年への飛躍へつなげてもらいたい。

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仰木マジックに学ぶマーケティングのテクニック [関連情報]

2005年12月22日

仰木マジックに学ぶマーケティングのテクニックオリックスバファローズの前監督の仰木彬氏が逝去した。昨年来の球界再編の流れの中で誕生した合併チームの初代監督を務め前年最下位のチームをプレーオフ争いを展開させるまで立て直した。またイチロー、野茂といった個性的な選手を育成し、その手法は「仰木マジック」とまで称された。仰木マジックの正体とは何か。それは、マーケティングの手法以外の何物でもなかった。

仰木氏は西鉄ライオンズの黄金期を支えた名二塁手だった。中西、豊田、稲尾という一匹狼が揃った選手の中でまさに「いぶし銀」的な存在だったという。そのせいもあり、現役時代には名前が出ない存在であり、まさに玄人受けする隠れた存在だった。

そして現役引退後も18年もの間、コーチを務め、彼が監督して脚光をあびるようになったのは、すでに50歳を過ぎてから。だが、現役時代から「魔術師」と称された名将・三原監督の教えをうけ、それを自分なりにアレンジし独自の野球理論を構築し、自らもリーグ優勝3回、96年にはイチローを擁し日本一も経験した。

仰木マジックと称される仰木氏の采配の特徴は細かいデータ集積にある。そういう点では、今年日本一になったロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督と似ている。逆に同じデータでも来年から楽天の監督に就任する野村氏とはデータの使い方が違う。

仰木氏のデータの特徴は自分の選手の長所を生かすために一番最適な組み合わせを考えることにある。相手の戦力(特に投手)の分析をすることで、この投手なら、どの打者が相性が良さそうで、誰が良くないかということを重視する。

一方野村氏のデータの使い方は相手の弱点を知るためにある。どういう攻めかたをすれば、相手の長所を消せるかということに主眼を置いている。ここに両者の最大の違いがある。

もちろん、仰木氏も相手の特徴を消すことはするし、野村氏も選手の特徴を生かす采配はする。(だから野村再生工場などともいわれる)

もちろん、こうしたデータを集積し、分析し、仮説を立て、実践し、その結果をデータ化するというようなことがマーケティングを生かした野球理論の構築といえるのだが、仰木氏あるいは、バレンタイン監督のマーケティング術はそれだけではない。

それは「売り込み」方である。仰木氏でいえばイチローだ。仰木氏の凄いのは、イチローの能力を見出し、開花させたことだけではない。むしろ、その「売り込み」方だった。イチローと登録名を替えたのはイチローがまだ無名の時期。だれも鈴木一朗の存在を知らないときだった。

無名の選手を一目見て、能力を見抜き、そして名前を売り込むために、登録名まで変更させた。そのことにより、鈴木一朗という全く「つまらない平凡な」名前を「イチロー」というカタカナにすることで一躍国民的ヒーローに仕立てた。もちろん、イチローの能力がそれだけ凄かったことが最大の要因ではあるが、「イチロー」という登録名にしていなければ、また違ったともいえる。

バレンタイン監督でいえば、ファンに対し26番目の選手(ベンチ入りは25人まで)という意識をうえ、さらには背番号「26」をファンに与えた。そのことでファンとベンチの一体感がうまれ、いまやマリーンズファンは阪神ファンをも凌ぐ、日本一のサポーターと称されるまでになった。それも、バレンタインの戦略だったのはいうまでもない。

バレンタインはどうか知らないが、恐らく仰木氏やその手本となった三原氏などはマーケティングなんていう言葉は知らないだろう。しかし、その手法は確実にマーケティングの基礎を忠実に行なっているとしか思えない。なぜ、仰木氏やバレンタインが起用する選手が活躍するのか。日替わり打線と揶揄されながらも成果を残せるのか。そこにはマーケティングの考え方が隠されているのである。

仰木氏はその野球理論だけでなく、誰からも愛されるキャラクターを持っていた。お洒落であり、茶目っ気があり、また男気があった。今回も昨年来より体調を崩しており、監督就任も本来ならできるような状態ではなかったという。しかし、「グラウンドで死ねれば本望」といい、また昨年に野球殿堂入りした際のパーティーを「生前葬」だといい、今回は全くの密葬としている。そうした潔さも仰木氏の魅力の一つといえる。一人の人間として見習いたい潔さでもある。

仰木氏のご冥福をお祈りいたします。

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人を納得させるためには、言葉、表現、角度を変えて説明する必要がある [関連情報]

2005年12月15日

人を納得させるためには、言葉、表現、角度を変えて説明する必要があるいわずと知れたことだが、民主主義のキーワードは「納得」であるといえる。多数決はあくまで決定するときの手段であり、そこにいたるまでのプロセスこそが、民主主義の根幹だと思われる。

相手が納得できなかったら、言葉をかえ、言い方をかえ、角度をかえて説明して納得させる。それでも意見が食い違う場合に多数決となるのである。

しかし、今の小泉首相は相手を納得させているだろうか?国内問題(郵政民営化)などでもそうだが、特に顕著なのが靖国参拝問題である。ここで靖国参拝の賛否をいうつもりはない、また政治問題をいうつもりもない。ただ、人を納得させるという観点からみれば象徴的な問題だと考えらるのだ。

小泉首相の言動をみていると、本当に相手を納得させようと努力しているようには思えない。何回聞かれても同じフレーズを繰り返し、相手が納得しなければ「理解できないほうがおかしい」と突き放してしまう。本来は相手が理解しないなら、理解できるように言葉をかえ、角度をかえて説明すべきなのではないだろうか。たとえ相手が納得できなくとも、その姿を見せることが大事なのではないだろうか。

この点がビジネスの上でも同様だと思われる。取引相手が理解してくれないなら、言い方を変えてみたり、イラストや図表を用いてなんとか理解してもらうとするだろう。相手にわかってもらおう、理解してもらおう、納得してもらおうと本気で思えば、いろいろな言い方で説明しようとする。それが当たり前ともいえる。

もし、そうしたことをしていないという人がいたら、そこには大きな問題がある。なぜなら相手を納得させるということが信頼を得ることにもつながるからだ。また、そのために一生懸命努力する姿勢をみせることで、たとえその件では納得できなくても、相手は「この人は信頼できる人」とインプットされる。それが次のビジネスにつながるのである。

どうすれば、相手が納得し、理解してもらえるのか。そのためにはどんな事が必要なのか。小泉首相の言動を反面教師としてみれば、分かりやすいのではないだろうか。

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あなたは「夢」と「目標」の違いを明確に語ることができますか? [関連情報]

2005年12月08日

あなたは「夢」と「目標」の違いを明確に語ることができますか?先日行なわれた来季のアメリカ女子ツアーの最終予選で宮里藍選手は、通算17アンダー、2位に12打差をつけてぶっちぎりの予選突破を果たした。しかも、日本での賞金女王になるチャンスを棒に振ってまでの米ツアーへの挑戦だった。

予選会に出発するときの記者会見で「目標は1日2アンダー。5日通算で11アンダーでトップ通過を目指します」と語っていた。それが終わってみれば、3日目からは独走。最終日こそアンダーパーは出せなかったものの、通算17アンダー、2位との差12打差はどちらも最終予選のレコードとなった。

目標としていた11アンダーというのは、昨年の予選会で今年米女子ツアーを沸かせたPクリーマーが出した記録。今年何度かクリーマーとラウンドしたことから、お互いを意識する仲になり、クリーマーと「トップ通過を目指せ」と約束していたという。つまり、藍ちゃんは「彼女の記録を破って1位通過」を目標にしていたのだ。

この目標の設定が藍ちゃんを含むトップアスリートは非常に上手い。プロ野球の松坂の座右の銘は「目標がその日その日を支配する」。つまり、目標があり、それに向かうことで、その日に行なう練習の内容や練習に向かう態度が決まるというのである。これはマラソンの高橋や野口、あるいはスケートの清水などにも同様のことがいえる。

だが、藍ちゃんが凄いのはその目標と夢との違いを自分で明確にしていることだ。彼女の夢は女子ツアーのメジャーで優勝すること。プロになる前からの夢だという。もっと小さい頃は米ツアーに参加することだった。だから、今回でその夢は果たした。だが、それはプロになった頃から、ツアー参加は夢ではなく、目標に変わっていた。そして今の夢がメジャー優勝。

そのことについて、今年の秋ごろから口調が変わってきている。以前は夢と言っていた4大メジャー優勝。それが夏を過ぎた頃から「夢から目標に変わりつつある」と話すようになってきた。この言葉を聞いたとき、「この娘は夢と目標の違いを明確にできているんだ」と感じた。だから、成長しつづけることができるのだろうと感じた。

「夢から目標へ変わりつつある」。現時点では、まだ、夢なのだ。しかし、近い将来には目標になりうる実感を感じているからこそ、「なりつつある」という言葉がでてくる。つまり、夢と目標を自分の中で明確に区分できている証拠でもある。

夢を持っている人は多いだろう。目標を明確にしている人も多いだろう。だが、自分の中で夢と目標の明確な線引きが出来ている人はどの位いるだろうか。常に夢を持ち続け、目標を設定し、クリアしていく。そして夢を目標に変える。この流れを続けることこそが、成長を続けるためのシステムなのだろう。来年、米ツアーに参戦し、どの段階で彼女が「メジャー優勝が目標」と言うようになるのか、そしてその時の夢は何に変わるのか。そうした楽しみとともに、自分たちの夢と目標をもう一度考えてみる必要があるかも知れない。

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奇跡はなぜ起きるのか。奇跡を意識的に起こすことはできるのか [関連情報]

2005年12月02日

奇跡はなぜ起きるのか。奇跡を意識的に起こすことはできるのか今、ネパールでは一人の少年の行動が騒動を呼んでいる。この6ヶ月間、何も口にせず瞑想を続けているというのだ。現地では彼のことを「ブッダ」の生まれ変わりだ口々に言い、毎日瞑想を続ける少年のもとに一万人近くの人が集まっているという。

人が一切、のまず食わずで半年も生きることができれば、それは「奇跡」以外のなにものでもない。ブッダの生まれ変わりはともかく彼は本当に奇跡を起こしているのか? ネパールの地方当局は宗教委員会や科学者に少年の謎を解明するよう要請しているという。

また、アメリカのカリフォルニアのある教会に設置されているマリア像が先月末から「血の涙」を流していると評判になっている。一度、拭かれたものの、すぐにまた涙を流しているのだという。石膏で作られたマリア像が本当に涙を流しているすれば、これも奇跡であるのは間違いない。

実のところ、これらは本当の奇跡かどうかは不明だ。ネパールの少年は、24時間監視しているわけではないようで、本当に「飲まず食わず」なのかは疑問が残るといわれ、マリア像に関しては、イラク戦争に反対する人間のイタズラとも言われている。多くの場合、その周辺の人の思惑が「奇跡」を創りだすことがある。また実際には奇跡と呼べるものでも、偶然の産物に過ぎないものも多い。

しかし、本当の奇跡もある。今年の夏にアメリカは奇跡で沸いた。20年前に交通事故に遭い、その後昏睡状態にあった女性が20年ぶりに意識を戻し、話ができるようになったというのである。これは本当の奇跡としかいいようがない。

偶然が生んだ奇跡と本当の奇跡の違いは何か。それは「奇跡」を信じて信念をもち、行動をした人がいるのかいないのかということである。アメリカの少女の話でいえば、医療スタッフがあきらめかけたのを彼女の両親とセラピストが必ず復活するという「奇跡」を信じ、その信念の行動を20年間も続けたことが本当の奇跡を生んだ。

また、スポーツでも土壇場で「奇跡の逆転」がおきることがある。それは負けているチーム (選手)が最後の最後まであきらめず、「自分が勝つ」という信念を持ちつづけているからこそ奇跡の大逆転がうまれるのである。

信念を持ちつづけたからといって奇跡が必ず生まれるわけではないが、信念がない行動には奇跡は起こりえない。運よく大逆転で目標を達成する人間もいる。しかし、それは単なる偶然であり、「幸運」に過ぎない。そこには「天と地」ほどの違いあるのである。

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仕事に対する「責任」とは誰に対して取るべきなのか [関連情報]

2005年11月24日

仕事に対する「責任」とは誰に対して取るべきなのかほとんどの人間は仕事をして、そこから報酬を得て生活を営む。そうしたうえでは、仕事に対する責任意識というものは、ほとんどの人間に対して共通の問題のように思える。しかし、この件の報道を聞いていて、なぜか、そうしたものへの意識の欠如を強く感じられるのが実は一番怖いことである。

仕事に対する責任は誰に対してとるのか。大きくわけて2つあると思われる。一つは、自分自身に対してである。自分の行なう仕事に対して、自分自身が責任を取る。それが、仕事に対するプライドにもつながり、仕事に対する誇りを生むことになる。

もう一つは、お客様に対してである。ここでいう「お客様」とは、仕事を依頼した人間である。仕事を依頼した人間(会社)に対して責任をもって仕事を行なう。これも当たり前のことだ。今回の案件も恐らく施主、設計事務所、建築士、建築会社は、それぞれの依頼主に対しての責任は果たしているのだろう。それは
納期とコストである。この2つを最重視して、仕事の依頼が行なわれていたように思える。

こうした「納期とコスト」を最重視して仕事の依頼があるのは、現在の市場主義経済では当たり前のこと。しかし、今回は日に日に事態は大きくなっていく。それは、対象となっているのが、建物だからだ。昔から「衣食住」と一言で言われる。つまり人間が生きていく上で、最も重要な要素だということである。その「住」の部分に対する問題だから、人々の怒りは収まらない。

ここに全ての意識のずれがわかる。自分の仕事が誰にどんな影響を与えるか。それにより、本来仕事に対する「責任」を持たなければならない。そのことを今回の問題に絡んでいる人々がどこまで意識しているのだろうか。それが見えない。

これは、どの社会で、どんな仕事をしている人にも言えることであろう。自分の仕事が、社会に対してどんな影響を持つ内容なのか。それによって誰に対して、どんな責任を持たなければならないのか。対岸の火事にせず、自らの仕事に対する意識をもう一度、改めて見つめなおしてはどうだろうか。

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あなたは理論派、それとも体感派?五感に訴えることの重要さとは? [関連情報]

2005年11月11日

あなたは理論派、それとも体感派?五感に訴えることの重要さとは?<br />
先日、あるテレビ番組で女子ゴルフを題材にし、ゴルフクラブメーカーの競争を取り上げていた。ゴルフメーカーがどんな考えでクラブを製作し、それを販売するためにどんな戦略をもっているのか。そして、クラブやウェアを販売するにあたり、女子ゴルファーがどんな役割を担っているのかということをかなり細部にわたり特集していた。

そのテレビを見ていてあることに気づいた。それは「人は体感を大事にする」ということである。あるメーカーでは、クラブ製作の根底に「クラブの質」を求め、上級者志向を中心に考えている。一方で、あるメーカーは打った瞬間の音や手に伝わる感覚(打感)を重視し、クラブを作っている。

現状では「打感」を重視しているメーカーが販売本数で圧勝しているという。クラブの「質」でいえば、前者のクラブの方が優れているというが、後者のほうが、打った瞬間の「音」が明らかに違い、確かに、そのメーカーと契約しているゴルファーのドライバーで打った「音」は爽快感がある。

本来のゴルフの競技性である「飛距離、正確さ」という概念からは一見全く関係ない「音」によって、優位性を持っているクラブが、まさに「飛ぶように売れている」というのである。ココにビジネスの面白さがある。

一方、「飛距離や正確さ」を追求しているメーカーでは、そうした関係ないものを取り込むことに製作サイドが異を唱える。彼らからみれば、「それは邪道」なのだろう。しかし、営業サイドでは、「売れるもの」を作って欲しい。製作者側のプライドと営業側の意地。まさにビジネスの最前線を映し出していたといえる。

この話はなんにでも通用するのではないだろうか。良いものを作っていても売れないことは多い。そこには「人に訴えるもの」が何か足りない。それは得てして「五感」に訴えるものである場合が多い。色、音、匂い、肌触り、味。そうした五感に訴えるものを加わった瞬間に大ブレークすることもある。「何が足りないのか」。自社の商品(サービス)で何か足りないと考えている人は、そうした五感に訴えるものを加えることを考えてみてはどうだろうか。

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人事評価制度で悩む経営者は評価制度の前に決めるものがある [関連情報]

2005年11月04日

人事評価制度で悩む経営者は評価制度の前に決めるものがある今年も11月になり、そろそろ年末の賞与の時期が近づいてきた。日頃から評価制度で悩む経営者でなくても評価について考えやすい時期である。「人が人を評価するのだから難しくて当然」と考える経営者が多い。それはその通りだ。しかし、評価制度が上手く活用できない組織には何かが足りないともいえる。

また、社労士などを介してきちんとした人事評価制度を導入したものの、どうも上手く稼動しない。従業員の間で不平不満がきえないという企業もかなり多い。せっかくお金をかけて整備したつもりの評価制度が実際には組織にあっていないという場合も多い。

どうしてそういうことがおきるのか。それは、会社(組織)にとって「必要なもの」の順番(序列)を経営者がきちんと把握していないということである。

経営者(組織)にとって何が一番必要なのか。利益なのか、企業文化なのか、あるいはCSなのか。それは組織によって違うはず。経営者の考え方によって違うはずである。しかし、そうしたことを考慮せずに別の会社で上手に活用できたからといって人事コンサルタントが勧める人事評価制度を活用してもそこの組織で機能するとは限らない。いや、失敗する率のほうが高いはずである。

極端な話、ワンマン経営者いる。一人で営業も開発もしてしまうような経営者だ。彼にとってみれば、もしかしたら「自分を一番仕事しやすい雰囲気を作ってくれる人」 変な話、仕事などできなくてもその経営者におべっかを使って、その気にさせてくれる人が一番必要なのかもしれない。だとしたら、そうした人を一番評価しても良い。まあ、こういう企業が長続きするとは思えないが・・。

大事なことは何を一番必要としているか。そのことを明確にすべきなのだ。「この企業で一番必要としているのは、○○である」。そのことに対して一番貢献した人がその企業にとって一番必要な人物なのであるから、一番評価されるべき。ところが、そのことがぶれてしまったり、皆が理解していないから評価に対して不平不満がでてしまう。

中には、「会社に貢献しているのに評価が低い」という不満から本当は貴重な戦力のはずなのに会社を辞めてしまうケースだったあるだろう。その不満となるのも、何が一番必要なのかということへの明確な基準がないからなのではないだろうか。

必要なものの順番を示す。そしたら、その必要なものを実行するにあたり、評価の仕方は変わるはず。その積み重ねが人事評価につながるのではないだろうか。だからこそ、評価制度は人任せにしてはいけない。まず経営者が企業にとって経営者にとって必要なものの順番を明確にする。それにしたがって、評価方法を決定する。そこには専門家の知識や知恵を求めるべきだろう。だが、大事なことを人任せにしてはいけないのだ。

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ディープインパクトにみるスターになる必要条件とは何か [関連情報]

2005年10月28日

ディープインパクトにみるスターになる必要条件とは何か普通、競馬の場合、1頭だけ強い馬がいるレースでは売上が下がる。なぜなら、あたっても配当が期待できないからだ。しかし、ディープインパクトが三冠をかけて臨んだ菊花賞は全く逆だった。京都競馬場には13万人を超える人が押し寄せ、菊花賞の売上も前年を12%も上回る売上となった。特に単勝馬券に限れば、昨年の倍以上の売上だったという。

しかも、単勝でいえばディープインパクトの単勝支持率は約80%で、何と1頭で11億円も売れたというから驚きだ。しかも払い戻しは100円戻し。100円買ってあたっても100円しか戻らない。多くのファンはそれを承知で「ディープインパクト」 を購入した。

ディープインパクトは史上2頭目の無敗の三冠馬である。その強さがもちろん人気の理由でもあるが、実はそれだけではないと思う。ディープインパクトほどではないにしても、スターホースになりそうな強い馬はここ数年でも沢山出ている。しかし、それらの馬とディープインパクトには決定的な違いがある。それが華
なのだ。ディープインパクトのレース自体に華を感じる。そこにより多くのファンが引き込まれていくのだろう。

ディープインパクトの場合、その華とは、最後の直線での豪脚である。これまでにも何頭もの名馬に騎乗してきた武豊にして「空を飛んでいる。こんな馬初めて」と言わせた、その脚である。まるで一頭だけ別のコースを走っているかのように思わせる豪脚がディープインパクトの人気の秘密でもある。

何のスポーツでもそうだが、強かったり、上手かったりする選手と本当のスター選手は違う。今の野球界では本当のスター性を持った選手は日本ハムの新庄だけ。しかし、彼の場合は野球の能力がずば抜けているわけではない。だからスーパースターにはなれない。華と能力。その両方を兼ね合わせて初めて社会現象になるスーパースターになれる。

どの企業でも実はスターを欲しがっている。それは営業マンであったり、商品(サービス)であったり。社会現象にまでなるスターがいれば、黙っていても売れる。黙っていてもメディアが取り上げる。スターとは放って置けない存在だからだ。では、どうすればスターが生まれるか。馬や人間の場合は、個人の基本能力に頼るところが大きいのだが、商品は違う。

「親しみやすさ」「安い」「使いやすい」。そうした機能のうえに「華」を持たせることである。商品に「華」を持たせるとはどういうことか。それが「オンリーワン」ということなのだろう。オンリーワンを持った「人に好かれる」商品だけがスター商品になれるのである。

スターになると、商品価値が別の場所であがることがある。ディープインパクトの例でいえば、100円の単勝馬券は払い戻しても100円にしかならないが、何とオークションではプレミアがついている。三冠の全ての100円馬券がセットで7000円になっていたり、新馬(最初のレース)戦の単勝100円馬券は何と1万7000円もついているという。これがスターが生む付加価値なのである。

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国勢調査にみるマーケティング調査の難